占星術も身体の一部?
クライアントさんから1年ほど前に星占いブログを紹介していただくことがありました。
独立を計画している最中の事でした。
そのブログの年間占いの中に書いてあることがスケジュール的にも気持ちの流れの面でも当たっているというか、指針になるなと感じました。
その方のブログ。
石井ゆかりさんのブログ
https://lineblog.me/ishiiyukari/
また、NLPを教えてもらっている方がいるのですが、その方は経営・マーケティングの知識量も半端じゃなく、いろいろ教えてもらっていると、
有名な経営者・マーケッターの方が占星術を取り入れていたり、星を読んでプロジェクトを立ち上げる日を決めたりしていることを知りました。
各方面から入ってくる占星術の情報を聞いていると、そこには共通する時期や時間、エネルギーの要素などが大体合致していることに気づき、だんだんと深く知りたくなってきました。
また姿勢や身体の動きにも星のエネルギーは関連しているなと感覚値で思うのです。
身体だけが自分ではない
ほとんどの人は自分の身体だけが自分だと思っています。
生まれた日に月がどの星座の方向にあったか、太陽系の惑星がどこに位置していたか。そういうことは自分の身体の状態とは関係ないものと考えます。
「私は新潟県の弥彦村という田んぼが多い田舎で育った」といえば自分の発育や身体に大いに関係していることがわかりそうです。
でも、
「私は魚座です。今日は金星(至福・金運)が魚座の位置にきているので何か良いことが起こる星の配置です。」
これはどうでしょうか?ちょっと信じがたい事に聞こえますか?
現代はロジカルで分析的で、こういった話をは胡散臭いと感じる方は多いと思います。
占星術は身体をみることに似ている
「情報場」の理論は聞いたことがありますか?
「場」というのは物理的な空間でもありますし、PCの中のフォルダやデータもある意味で情報がある「場」ととらえることができます。
空間の中に建物や山や川、人というものが存在しますが、「情報」はどこに存在しているでしょうか?
PCの中だけでしょうか?頭の中でしょうか?
情報が存在する「場」というものが目に見えない「場」として存在する。という考え方があります。(場の理論はここでは割愛します)
その情報がたくさん集まり密度が濃くなって、物理空間上に表出したのが山や川や建物です。
「渋谷」で考えてみると、渋谷の街、言い換えると「渋谷の情報場」には相当なエネルギーの情報が集まっているからこそあの場所にあれだけの建物、人、物が集まっています。
「スタバを二子玉川の川沿いに建てたい」という情報(エネルギー)が集まったからこそ二子玉川の川沿いにスタバができるわけです。
はなしは反れましたが、、、
何かが具現化したり、動き出したりする前段階の「情報」という場があって、そこでほとんどの事が決まっているということです。
この情報の場から自分たちの身体が具現化されていると考えるととても興味深いのです。
星の配置や動きというのは、自分が何か物事を考える前から決まっている事実の情報です。
ですので自分が何かを思ったり感じたりするというのは、自分主導でやっていると思いきや、周りの環境によってすでに決まっていて、その情報によって動かされていると考えられるのです。
「場」も身体の一部
では自分の身体を具現化している情報ってなんなんだろうと。(昨年はこのつかみどころのない分野をかなり掘り下げた年でした。)
以前にも載せましたがポラリティセラピーの本の中にある言葉で「人は考えたものになる」というものがあります。
(過去記事はこちら)
一つは自分の脳、考え、自分が描いているイメージなどの情報が自分の身体というものを作っています。
そして、自分の脳で考えたことやイメージ以外にも情報が存在しています。
親や兄弟などの家族構成、生まれた場所、育った環境など、自分の意識の外、身体の外にも自分自身を構成している情報がたくさんあります。
それも含め自分だと感じることができると、身体というのは「場」の影響を受けていない訳がないというのも理解できます。
占星術はその情報場をわかりやすく可視化する一つのツールになります。
自分の考えや行動だけを責めなくてよい
このように「場」の影響をある程度、自分の身体と考えを構成する要素に加えられると、生きるのが楽になります。
自分を誇張する必要がなかったり、得意なことに力を注げたり。
また失敗した時や不運なことが続く時、自分が考えて考えて頑張っても報われなかった時、そういう時はもう少し先に星の動きを見てる、
そうすると成功するための布石に思えてくる。
など、考え方や心に余裕が生まれます。こうなってくると自分の人生を自分でコントロールできるという感覚が生まれてきて更に良い結果を引き寄せます。
昨年はこのようなつかみどころのない所に学びが集中しました。
それも多分すでにきまっていたことなんだろうと思います(笑)
今年はより具体的、具現的、人の身体で言えば解剖学的な学びをまとめられたらと思っています。