*身体論ノート*

自分らしく生きる 身体と心の整理術まとめ

子供を授かること。与えられたメッセージ。

現在2児の父である私。なんとこの度、3人目まで授かることになりました。

 

子供を授かる以前は、「自分はどういう人間になりたいか?何を達成したいか?」

という「自分軸」でしか物事を考えられなかった私ですが、子供を授かったことで全く違う方向のベクトルの思考が生まれました。

 

子供が持つメッセージを受け取る

想定外!(笑)の3人目。

「独立して半年しか立ってないのに、大丈夫かな、、、」という不安は意外にありませんでした。運命的な事って、戸惑う隙もなく受け入れるくらいの気持ちになります。

すぐに頭は切り替わり、「この子が生まれてくるという事は、人生が私にどんなメッセージを送っているのか?」という考えに切り替わりました。

人の命を授かったり、不幸ですがその逆など、とっても運命的なことを体験すると、

 ”私”が人生に何を求めているか?ではなく ”人生”が私に何を期待しているのか?を考えざるをません。

 

義務感ではなく人生、宇宙からの期待として受け入れる

予定していなかった事。 それを自分でどのように受け取るか、受け入れるかで人生の捉え方は変わるようです。

 

”子供ができたということは、この子を一人前の大人に育てるための力をつけていくことができる、まだまだ自分で考えているようなゴールのような狭い世界で生きる存在じゃないぞ。”

 

””この子を一人前に育てて、楽しみも苦難も、受けいれる力がお前にはあるんだよ。”と。

 

この子がメッセージをくれていると私は受け取りました。

 

未来に想定される不安や、困難を先取りしてプレッシャーに感じる方も多いと思いますが、それを乗り越えていける力が自分にはあるんだ、これからもっと大きなものを受け入れる器の人間になっていくんだと。子供を授かった出来事を宇宙、人生、未来からの期待と受け取ると、これからをどうするかという意欲の方にベクトルが向いてきます。

 

命名

私は子供の名前を考えるがとても好きです。

 

私が経験してきた世界では想像できないような、もっと大きな経験をしたり、大きな出合いによって成長してほしいという思い、忘れてはいけない自然への畏敬の念、自分よりもっと良く生きてほしい。

 

字に思いを込める、字によって導かれる、名は体を表します。最高の名前を付けてあげたいと思います。納得するまで絞り出します。

 

名前はこれから幾度と口にしますし、音の響きや意味が子の身体感覚、それを呼ぶ親にも心理的に影響します。言霊ってやつです。だから、いっぱい呼んだらいっぱいポジティブに良い回転が生まれるような名前が良いです。もやはマントラと一緒です(笑)

 

こうやって子の名前を考えること自体が自分の今後の人生の指針になったり、希望につながったり道しるべとなっていきます。

 

それは前の2人の子から感じています。この名前を呼んで四季を思い出せたり、忘れている身体の感覚や、シンプルな大切なことに戻れたりするのって素晴らしいことです。

 

 

子供を授かることから学ぶ

 

子供や家族から人は自分一人で自分を完成させることはできないということを学んでいます。パートナーや、子どもが自分に足りないところを埋めるために表れてくれるんだなと。

それをひっくるめて自分なんだと。

 

Mr.Childrenの「くるみ」の歌詞で、

「どこかで掛け違えてきて 気が付けば一つ余ったボタン 

同じようにして誰かが 持て余したボタンホールに

出会うことで意味ができたならいい」

 

という歌詞があります。

自分の身体と向き合いながら、感じる事は、自分の身体や心一つで何か解決をしようと思いすぎているところが私には多いと気づきます。その反面、家族や子供、クライントさん、様々な方に自分のボタンホールを埋めてもらっているような気がしています。

 

身体で覚えること

子供を育てていくうえで大切にしていきたいと思っていることは、やはり身体の感覚です。それは運動神経とは違います。感受性や共感力という方に近い事です。

 

野口整体創始者 野口晴哉の「躾(しつけ)の時間」という本で、

「動作が美しく、お互いがいきてゆく上にお互いに快感があるようにしてゆく、そういうことが躾という事の意義である」と述べています。

 

「遊びやスポーツを通じて人との身体接触をおぼえ、人とのかかわりの中で生ずる摩擦を少なくするための身体的ルール、すなわち礼儀を身体に躾ける必要がある」

 

 

本当にそう思います。アスリートにしたり、良い成績を残せるようにするとか、そういう事の前に、遊ぶ事やスポーツをすることで、身体を触れ合う事で人との関わる時に生まれる摩擦、それを回避するための距離感、心が通った時の身体の感覚、そういうものを覚えていってほしいと思います。

 

これは、自分やこれからの社会、それを体験することが無かった大人にも言えることだと思っています。