アーティストにもっとピラティスを。
ピラティスはアーティストと相性が良い
ピラティスをもっとアーティストに取り入れて欲しいと思っています。
私は俳優を勉強していた時期がありましたが、演劇やアートは自分には無理だと思って諦めた世界でした。
表現したり感情を解放することを大衆の前でやらなくてはいけないからです。
恥ずかしさを気にしたり、どう見られているかということを気にしている俳優は「役」の人生を生きていないことになります。
舞台上で「自分」を生きていることになるからです。
もっとわかりやすく言うと、セリフや段取りなど舞台上の段取りをこなしているだけの人には、登場人物の感情や雰囲気はありません。これを大根役者と言います。
私は当時周りからの目が気になり、動きがぎこちなく固いといわれることが多かったです。いまでも笑顔は苦手です。(よくやってきたなと思います。)
今の自分が行っていることに集中する。
ピラティスで行っていることは、役者で言えば舞台上で役を生きることに集中するという演技のスキルにも似ていると思うのです。
ピラティスはアーティストに共感されるコンテンツ
ピラティスやマインドフルネスに取り組み、俳優が役を生きるということを少しずつ理解できてきたように思います。
ピラティスの動きに入る時は、筋肉を弛緩させ、アラインメントを正し、呼吸を意識しながら、自分の身体の感覚に集中する。これは演技や音楽の演奏、アートに通じるところです。
例えばセットも何もない舞台上で、突然雨が降ってきたシーンを演技するとしたら?
俳優が役を生きるとき、その場にないものを感じる時、自分の過去の体験から得た身体感覚、また登場人物のストーリー、そういったものからインスピレーションを受け、身体や感情に投影する。
自分の感覚を研ぎ澄まし、雨が身体にあたった感覚を感じるから、動きが生まれ、感情が生まれ、セリフがとびだします。
決して、セリフを言うためにその場にいるのではありません。感情がセリフを生み出しているのです。
その時に、自分がどう見られているか?恥ずかしさなどを考えていては身体や感覚のインスピレーションは得られませんし、身体は不用意に緊張し人間らしくない動きを生み出します。それは訓練された動きと言葉を話すだけのパペットです。
ピラティスのエクササイズ中に「恥ずかしい」とか「周りにどう見られているか」を気にしたことはありますか?
私はほとんどありません。(ピラティスの養成コースの試験などの時は、訓練された動きと呼吸パターンができる上質なパペットを演じていたと思いますが笑、今はそう感じません。)なぜならピラティスというものに自分の身体のコントロールに集中を置くという原則があり、はじめからそのように教育されているからです。
また、恥ずかしさや周囲の目を気にしていては正しい動きになりませんし、せっかくの身体と向き合う時間が無駄になります。
逆に言えばピラティスをするときはそんな事を気にする必要がないということです。
自然に自分の身体を感じることを楽しむ時間にして
、起こる変化を追随して、意志をもってコントロールしていけば、「結果として」他の人から見たら良い動きや美しさとして映るということです。ここに思考はありません。
まさに、役者が役そのものになっている瞬間と同じではないでしょうか。
(もちろん見せ方や役のセオリーはあると思います。)
アーティストはアスリート以上に身体的ハイパフォーマーである
そして、ピラティスはアスリートのトレーニングとして取り入れられることが増えてきていますが、アーティストにも広く取り入れて欲しいという思いがあります。
アスリートは身体的に優れたパフォーマンスをしますので、身体とイメージが直結します。
しかし、私が感じるのはアーティストこそより繊細な意味での身体操作のハイパフォーマーだということです。
重量挙げで鍛えた筋肉でピアノの鍵盤をなめらかに弾けるでしょうか?もっと抹消の神経、骨レベルでの分節的な動きや呼吸と感情をつなげた身体操作が必要なのではないでしょうか?
例えば、役者が感情を表すのはセリフだけではありません。息を呑む仕草や、ため息、息を切らしたり、そんな繊細な呼吸の動きも表現の一つになります。
しかし、日常生活において何らかの理由で胸郭が硬直して呼吸が浅ければ望み通りの演技はできません。意識ができても。
優れたピラティスインストラクターは呼吸の状態をよく観察します。感情が呼吸と結び付いていることも体験的に理解しています。
役者が感情に影響されるような小さな呼吸レベルで人間の動作を観察し、修正していきます。私を教えてくれた先輩たちは、それくらい細かく人の意識と連動する動きの変化を見抜く力がありますし、私もそうなりたいと常に思ます。
姿勢改善、リバビリ、ダイエットだけじゃない、ピラティスによってアートのハイパフォーマーをサポートできることが私のキャリアの中の一つの目標です。