*身体論ノート*

自分らしく生きる 身体と心の整理術まとめ

働けば都

横浜中華街で4年間レッスンをさせていただきました。

 

あぶない刑事、クレイジーケンバンド矢沢永吉のチャイナタウン。(どんな世代!?)

横浜は観光地でもあり、イメージの中で憧れの場所でした。

 

そんな場所で勤務できたこと、今振り返って良い時間だったなと思います。

仕事終わりに一つ先の日本大通り駅まで、夕方の山下公園を歩いてみなとみらい線で帰る。

 

平日の観光地は、景色と空気をひとりじめできるような気分で、

夕方の落ち着いた空気と、観光客がいない観光地の日常の時間。

そういうのが好きなんです。

 

役者時代も閉演した深夜の遊園地をロケハンしたり、開場前の劇場の楽屋、

観光で行く観光地よりも、”仕事で行く観光地”が自分はわりと好きなんだなと思います。

 

歌の題材になっている土地への憧れが、自分史のなかでもゆかりの土地になる。

また歌を聞いたときに思い出せる。そんな思い出を横浜で残せたことが良かったなと思います。

 

異動が多く、クライアントさんと長く関われずにお別れする、そんな繰り返しだったのが嫌で、最後は元町中華街の店舗では4年間継続してスタジオのクライアントさんと関われました。

 

当たり前に毎週お会いするお顔は、家族に次に長い時間を過ごした思います。

当たり前に続くと思っていると湧いてこない、人への思いというのが

退職することを決め、お知らせすることであらためて感じられました。

 

明日も来月も来年もお会いできると思っていると、いつか伝わればよいと思っていたことが、今伝えなくてはいけないと思うようになり、いつもお話しないような言葉や気もちが生まれてくるもんだと気づきました。

 

同じクライアントさんと長く関わるというのは、体の変化、飽きの来ないレッスン、自身の学びというものを常に更新していかないといけないもので、

継続してもらう関係性のなかには「常に変える」というチャレンジも必要でした。

 

またクライアントさん自身が病気や怪我でピラティスを継続することが難しくなるということもあります。運動自体ができなくなる事や、人生の幕のタイミングを察することもありました。

 

長く関わるからこそ、希望だけではない、現実を見ながらも、今できる事をやっていくということと向き合う機会もたくさんありました。

そんなクライアントさんとの関わり合いが財産になりました。ありがとうございました!

 

活動する場所は変わりますが、ご縁があった方がみてくださって気持ちが少しでも伝わればと思います。