*身体論ノート*

自分らしく生きる 身体と心の整理術まとめ

ピラティスが「哲学」と言われる理由①

ピラティスはただの健康体操ではない、哲学だと。言われることが多いです。

また、クライアントさんからもその理由について聞かれることがあります。

 

僕なりにその辺で感じている事をまとめたいと思います。

 

そもそも哲学って?

 

哲学(Wiki

人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。

また、経験からつくりあげた人生観。

 

人生観。深いですね。「経験から作り上げられた」という点はとっても重要に感じます。物事の原理原則を通して自分の人生の指針となるものを作り上げるということでしょうか。

また、ある人は「哲学する」とは、「ハッ!」とひらめくような経験を通じて「知っていると思い込んでいたことを、別の角度から知る」ことと表しています。

 

現代のピラティスには「原則」というものがあり(ジョセフ・ピラティスは直接書き残していない)その中にAwareness:気づき」とうものがあります。

気づきとは、頭の中でひたすら考えて考えて出した答えではなく、別の角度から見る事で「ハッ!」とひらめいたような感覚です。

 

ですので哲学は、数学や科学などの学問と違って「予備知識」がなくても体験できます。大切なのは、「ハッ!」とする経験を逃がさないことと、自分の中でしっかりその物事に向き合うこと。

 

ピラティスは身体という自分から切っても切り離せないものを通して、原理原則を学び、身体を動かすという経験を通して自分の扱い方を知る。自分の身体なのに全く意識が向いていなかった筋肉や骨の動きを感じた時はまさに「ハッ!」とし、身体の使い方に変化が起こります。身体の使い方の変化から考え方や物の見方が変わる。そういったところが哲学と呼ばれる所以かもしれません。

 

”人生にアプローチするごとく、動くことにアプローチするべきだ。情熱、喜び、感謝をもって。動くことが人生、人生が動くことだから。努力した分だけ、私たちは受け取ることができるのだ。”(第2世代ティーチャー ロン・フレッチャー)

 

時代背景

 

ジョセフ・H・ピラティスが生きた時代。第一次世界大戦のドイツ。

イギリスにいたピラティスは捕虜としてとらえられマン島の収容所に送られます。そこでピラティスさんは”健康とは何か?” ”幸福とは何か?”ということを考えさせられたのではないかと思います。

 

負傷した兵隊や捉えられた多国籍な人が集まる”人種るつぼ”。また、身体の特徴や健康状態も、現代の私たちが住んでいる日本からくらべたら凄惨な状況だったはず。

 

”健康とはどういう状態なのか?” 否が応でも考えさせられる環境。

 

正常に機能する身体を探す方が難しいくらいの状況を目の当たりにしているに違いありません。

 

”ふつうの人は健康について話をしないほうが、健康のためにはよい。健康というのは、そもそも普通の状態であり、それを手に入れるのみならず維持することは私たちの本分なのだ。人間が自然の法則をよく知り、それに従うだけで、世界中の人々が健康になり、”健康の世紀”が実現する。”(ジョセフ・H・ピラティス

 

そして、時代や国は少し違いますが、ヴィクトール・フランクル精神科医・心理学者)など後世に名を残す学者たちに共通することが戦争の最中、収容所などで生死の極限状態を目の当たりにしているという事。

 

戦争という”生と死の淵”という極限状態でなければ、これだけの心理や肉体の真理に”気づき”後世に残すことはできないと思いますし、それは彼らの運命であり使命であったと思います。

 

”収容所では、極限状態でも人間性を失わなかった者がいた。囚人たちは、時には演芸会を催して音楽を楽しみ、美しい夕焼けに心を奪われた。フランクルは、そうした姿を見て、人間には「創造する喜び」と「美や真理、愛などを体験する喜び」があると考えるようになる。しかし過酷な運命に打ちのめされていては、こうした喜びを感じとることはできない。運命に毅然とした態度をとり、どんな状況でも一瞬一瞬を大切にすること。それが生きがいを見いだす力になるとフランクルは考える。幸福を感じ取る力を持てるかどうかは、運命への向き合い方で決まるのだ。”
 

”生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だ”

ヴィクトール・フランクル

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/index.html

(100分de名著より) 

 

ピラティスが「哲学」と呼ばれる理由は、単なるボディメイクのためのエクササイズ、フィットネスではなく、

 

時代背景をとおして、生の人間の体験から沸き起こった、まさに”人生・世界、事物の根源のあり方”に向き合い続けた人から生まれたメソッドだからではないでしょうか。

 

身体が心を、心が身体を、そのどちらか一方通行でなく身体と心、二つを対立させるのではなく心と身体を完全に調和させること

 

それが、過酷な運命、時代背景においても喜びを感じ、一瞬一瞬を大切にすること、幸福を感じるための第一条になること。

 

エクササイズはその哲学を実現するための一部分。

 

ピラティスさんが伝えたかった、訴えたかったことはエクササイズにとどまらず人の人生の指針として身体と心を鍛えるというところにあるのだと思います。